漂流人記念碑

太地町にある「漂流人記念碑」についてです。

大背美流れとは、明治時代に起きた恐らくは最も悲惨な海難事故の一つであり、そして、太地浦の発展を支えてきた「古式捕鯨」の終焉の直接的な原因になった出来事です。
以下は那智黒総本舗のサイトに掲載されていた概要です。

梶取崎から古式捕鯨高塚連絡所跡を経て、燈明崎への上がり口に戻ると「漂流人記念碑」があります。 明治11年、この年は近年にない不漁で、このままでは正月も迎えられないという状態でした。 荒天の中、夜を徹した激闘の末、子持ちの背美鯨(セミクジラ)を仕留めたものの、強風怒涛に巻き込まれ、老人から10才にも満たない少年までが乗る船は、漂う木の葉のように海中に沈み100余名が遭難。捕鯨の歴史の上で決して忘れることのできない悲劇「大背美流れ」の惨事を今に伝えるものです。

この大惨事では生存者13名のうち8名が伊豆諸島の神津島まで流れ着いたという記録もあり、非常に大きな規模の海難事故として太地町のホームページの中でも、1ページを割き、そのエピソードが語られています。
死者・行方不明者を合わせると百名を超える犠牲者を出し、貴重な労働力を失ってしまった太地町は一気に疲弊していきますが、その後新たな捕鯨技術や外海での捕鯨に切り替わっていくことになり、太地町の様子も徐々に変わっていくことになりました。

現在は漁港から平見へ通じる坂の中程に、この記念碑はありますが、最初に出来たときはもっと下の方にあったようです。
やがて極地での捕鯨などで町が潤うに連れて、町の道路が拡張されることになり、場所を移すことになりました。
まず現在の道の一本奥にある旧道の中腹に移され、その後に今の場所に移されることになりました。

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